−ボルタの電気回路−
A.電気の拡散の総合的観測(または電気の拡散に関する概観)
1.ある環境の下で活性となる−そしてそれを電気と呼ぶ−物体の特性は、
それを有する物体の近くの空間に現われる。
さらにそのことにより、その特性は、
互いに引き合うか、または反発し合うという電気を帯びた・・・と称される。
まったく明確な方法で、物体Aの電気的な状態に生じる変化を研究するため、
この物体(A)を、いつでも同じ環境下で、
検電器と呼ばれる、一定の電気を帯びた状態を瞬時に移動できる物体に接触した状態にする。
そして、検電器がその物体により反発もしくは引きつけられるその力が測定される。
この力が物体Aの検電力(ポテンシャル)と呼ばれる。
そして、それが引きつけるのか、それとも反発するのかどうかを区別するため、
前者の場合に符号+を、また後者の場合に符号−を計量表示の前に付ける。
この目的のために、微小な寸法(容積)の物体Aを採用する。
それにより、
ある第三の物体を検査するべく、その一部分にそれ(物体A)を接触するとき、
それ(物体A)は、その小ささからこの部分の置き換えとして見なされるだろう。
そのとき、
前述の方法で測定されたその検電力は、
それがさまざまな場所で異なる値を生じるとき、
これらの場所の間の電気についての相対的な差を知らせてくれる。
前述の説明の目的は、“検電力”という表現に単純で決定的な意味を与えることである。
この手法の実用性の大小に注意することも、
また、検電力の測定を進めるためのさまざまな可能な方法を互いに比較することも、
この計画に限界をもたらすものではない。
2.検電力(電圧)がある場所から別の場所へ移動するということは広く知られている。
なぜなら、それが異なった場所で同時に変化するだけでなく、
1つの場所で異なった時間であっても変化するからだ。
検電力(電圧)が、検知されるその時間と引き出されるその場所に依存する
ということを決定するためには、
物体の要素(訳注1)間に生じる検電力(電圧)の変化がテーマである
基本法則から述べなければならない。
これらの基本法則は
実験から借用されるものと、まさに待ち望んでいた仮説上推定されるもの
の2種類からなる。
前者の許容性はなんの疑いもなく、
さらに、後者の正当性は、
実際に生じるそれらと計算から導かれる結果の一致から
確かに明白である。
というのは、全てその変化を伴う現象は、計算による最も決定的な方法で表現されるからだ。
(訳注1)分子という考え方は、近代、19世紀初頭にはアボガドロやドルトンやゲイリュサック等により提唱されていたが、20世紀に入るまで、原子については、科学界が正式にその存在を疑っていた。そうした当時の事情から、物質の構造の基本要素(成分)という意味で、elementの意味を原子ではなく、要素(または分子状の物質)とした。この例は後にも出てくる。
それは次のようなものである。
その過程の間に、新たな疑念(不確実性)が生じたり、急な増え方をしない限り、
全く完璧な自然観測の所見というものは、
明確な方法でその報告を承認するか、否定するかしなければならない。
事実、これは数学的解析の主たる功績であり、
即ち、それはゆるぎない数式の生みだすものなのであり、一般的な概念をも生みだす。
そして、それは、絶えず実験を繰り返すことへと駆り立てるのであり、
その結果、自然のより深遠な知識へと導く。
その説明の方式での分析的研究を認めないような事実が発見された
自然現象の種類(等級)についてのあらゆる理論は不完全である。
そして、観測により十分な程度にまで確認されていない形式を、
あまり厳密に発展させた理論には、認めるべき信頼性はない。
それゆえに、自然の力の作用のほんの一部分でさえ、
あらゆるその段階において、最大限の正確さで観察されてきたのでない限り、
その仮説のための試金石がないので、
その研究において費やされた計算は疑わしい根拠の上を歩むだけだろう。
さらに、事実、もっと最適な時を待つほうがはるかに良いだろう。
しかし、正しい根拠を持って研究が行われるとき、
一般的な体験が示すように、
少なくとも間接的な方法で、新しい自然現象とともに、
研究を行うその分野を豊かにする。
これらの一般的な観察を前提とすることは、不可欠であると思われる。
それらは、
後続研究者の道しるべとなり、
ボルタの(電池の)現象が以前から数学的に、より偉大な成功とみなされなかった理由を
説明するからなのである。
たとえ、その結果発見されようとも、
必要な策は、明らかにほとんど前準備もされていない物理学の別の分野で
すでに遂行されてきたのである。
これらの熟考の後、次に、基本法測それ自身の確立へと進みたい。
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