自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

もしあらゆる物体が、自身を同じ状態に維持し、

 さらに、あらゆる変化にさえ抵抗するという本来の性質を持つならば、

  それにもかかわらず、
   宇宙におけるあらゆる物体はそれらの状態を絶えず変えているはずである、

    ということには、疑いなく驚かされる。


この変化が、状態が変えられる物体内に内在しない力によってのみ生み出されうることを、

 われわれは十分確信している。


そのとき、それにもかかわらず、

 その物体と無関係の、宇宙のあらゆる物体に起こる絶え間ない変化を生み出すこれらの力を

  どこでわれわれは探さねばならないのか?


さらに、これらの現存する物体を除き、

 これらの力を含む特殊な存在をわれわれは想像すべきなのか?


それとも、力はそれ自身が世の中に存在する特殊な物質なのか?


われわれはただその中の2種類の存在だけを知っている。


1つはあらゆる物体を包含するもの、もう一つはあらゆる知的な存在、

 即ち、人間の精神と魂、そして動物のそれである。


そのとき、われわれは、物質と精神を除いて、パワーまたは力と言う名の下に、

 第三の種の存在を世界に定めねばならないのか?


それとも、それらは物体の状態を絶え間なく変化する霊なのだろうか?


これらの努力(作業)は共に、あまりに難しいので急いで採用されることはない。


人間や動物の魂がその体の中に変化を生じる力を持つということは否定できないが、

 しかしながら、ビリヤード台上のボールの運動が何かの霊によって妨げられ、
  無効にされるということ、

または、引力(gravity:重力)
 霊によって下方に向かい物体を絶えず推すことで生み出されるということ、

さらに、天体の軌跡を支配する霊または天使を天体のそれぞれに割り当てた

 ある古代の哲学者の仮説に従い、

  それらの運動において方向と速度を変える天体が霊の作用を受けていたということ、

を支持するのはばかげていた。


では、宇宙の現象に関わる固体を推論する場合に、

 もしわれわれが、生命を吹き込まれた物体、即ち、人や動物のそれらを除くなら、

  他の物体に起こる状態のあらゆる変化が、

   霊には関係のない、単に物質的な原因により生み出される、

    ということが認められねばならない。


その時、全ての問題は、
物体の状態を変える力が個々に存在するのか、

 さらに特殊な種の存在で構成されるのかどうか?

  それともそれらは物体内に存在するのか?

   ということに帰する。


この最後の意見は一見まったく説明できないように思える。


というのは、もし全ての物体が同じ状態に自身を維持する力を持つならば、

 どうして、それらはそれを変えようとする傾向を持つ力を含むはずであるということが
  できるのか?


力の起源は、いつの時代も哲学者にとって悩みの種であった

 と、あなたは聞いても驚かないだろう。


かれらは、自然における最大の謎として、
 そしておそらく永遠に不可入性を持ち続けるかのように、ただ単に考えてきた。


しかしながら、私はこの偽りの謎の解決を、非常に明確にあなたに示すことは可能だろうと思う。


即ち、これまで克服不可能に見えたあらゆる困難は、完全に消滅する。


そのとき、いかに奇妙に見えようとも、

 同じ状態に自身を維持しようとする物体のこの能力は、

  他の物体のそれを変えうる力を補うことが可能である。


私は、物体が常に自身の状態を変えると言っているのではなく、

 他の物体の状態を変えることができるようになると言っているのだ。


この謎の底から、力の起源について(何か)得ることを可能にするためには、

 あたかも他に何も存在しないかのように、2つの物体を考えれば十分だろう。


物体A(Fig5))が静止しており、
さらに、物体BがBAの方向へ一定の速度で運動を受けたとしよう。

この(2つの)存在は並んでおり、物体Aは常に静止状態を続けようとしている。

そして、物体Bは常に同じ速度で直線BAに沿って、その慣性によりA,Bともに運動を続けようとしている。


物体Bはすぐに物体Aに接触するだろう。


その結果どうなるだろうか?


物体Aが静止したままでいる限り、

 物体Aを通り抜けること無しに、

  物体Bはその運動を維持できない。


即ち、それを貫通すること無しに、

 さらに、各物体が、一方が他方を貫通することなく、その状態を維持するはずだ、

  ということは不可能である。


不可入性が全ての物体に共通の特性であるなら、

 単にこの貫通は不可能であるというだけのことだ。


さらに、甲乙(
AB)の両者がその状態を維持することが不可能なら、

 物体Aは完全に運動し始めるに違いなく、物体Bに道をあけるはずだ。


即ち、それはその運動を継続するだろう。


さもなくば、物体
Aに近づいてくる物体Bはその運動を無効にしなければならない。


または、両者の状態は、
互いに貫通することなく、

 その後、それに適した状態をそれぞれ継続できる状況になるために、

  必要なだけ、変化しなければならない。


それゆえに、物体
Aまたは物体Bまたは両方とも、

 完全にそれらの状態の変化をこうむるに違いなく、

  さらに、この変化の原因は、絶対確実に、その物体自身の不可入性の中に存在する。


物体の状態を変えうる、あらゆる原因が外力と呼ばれて以来、

 そこで、この変化がもたらされる外力を生み出す物体自身の不可入性は、

  不可欠なのである。


事実、不可入性は、物体が互いに貫通するはずだ
という不可能性を含む。


それらの各々は、最も微小な部分でさえ、あらゆる貫通の邪魔をする。


そして、貫通の邪魔をすることは、

 それを妨害するために必要な力を出すこと意外の何者でもない。


2つまたはそれ以上の物体が、互いを貫通せず、その状態を維持できないというその度毎に、

 わずかな量の貫通をも妨害するため、


必要な限り、常にそれらの不可入性はそれを変えるために必要な力を出す。


それ故に、この物体の不可入性は、

 この世界で、それらの状態を絶えず変えている力の真の起源を含んでいる。


そして、これは哲学者をかなりひどく迷わせてきた大きな謎の真の解答である。


     1760年
1118

 

  "Go to Menu "                                        "Next  "