自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

全ての物体はひとりでに常に静止または運動という同じ状態を維持する、
 
という原理の真実を
  あなたにわかってもらおうと私が試みる前に、

もしわれわれが、それを徹底的に調査すること無く、推論の力によって、

 このテーマに関する経験のみを考慮するならば、

  われわれは、ややもすれば真逆の結果を引き寄せ、

   さらに、われわれが、物体の状態における恒久の変化以外、
    全宇宙の何もわからないかのように、

その物体は常にそれらの状態を絶えず変えようとする性質を持つ、

 ということを支持してしまうことになるだろう、

  ということを私は述べねばならない。


しかし、われわれはこれらの変化を生じる原因がなにかを示したばかりであり、

 われわれは、物体の外を除いて、状態が変えられる物体内に、

  それら(変化を生じる原因)があるはずがない
   ということについては
ひと安心していられる。


そのとき、われわれが確立した原理は経験によって否定されることは決してない。


即ち、反対にそれによって確かなものとなる。


あなたは、
正しく理解されていない経験により
 迷わされたどれだけ多くの偉大な哲学者が、

  あらゆる物体は、絶えずそれらの状態を変えようとする力を授けられている、

   という説を支持する誤りに陥ったかを

    このことから容易に判断するだろう。

ヴォルフが推論したのは以下の通りである。彼は言う。

 1.経験は、その状態を永遠に変えているあらゆる物体をわれわれに示す。

 2.物体の状態を変えるうるものがなんであろうと、力と呼ばれる。

 3.それ故に、全ての物体はそれらの状態を変えうる力を授けられている

 4.それ故に、全ての物体は変化しようと絶えず試みている

 5.さて、それが物質を含む限りにおいてのみ、この力は物体に帰属する

 6.それ故に、それ自身の状態を絶えず変化しているのは物質の特性である

 7.物質は、物質の要素と呼ばれる全ての部分の合成である

 8.その合成は、ただその要素の性質内に見出されるのみであるため、

   個々の基本的な部分はそれ自身の状態を変える力を授けられているにちがいない

これらの要素は単一の存在である。


というのは、もしそれらが部分から構成されるなら、

 それらはもはや要素ではなく、それらの部分もまた同じ(部分)だろう。


次に、単一な存在はさらにモナドと名付けられる。


それゆえに、個々のモナドはその状態を絶えず変える力を持つ。


そのようなものがモナド仮説の基礎である。


それは、今では、昔騒がれたほどではないが、

 あなたも聞いたことがあるかもしれない。


わたしは、私がそれらをまとめようと熟考する中で、

 より明確な基準を作るために、

  それが定められるさまざまな命題を(1から8の)形に示した。

私は、1と2に関しては何も言うことはない。


しかし、3は非常に疑わしく、それが認められるという意味で完全に誤っている。


物体の状態を変える外力が、なんらかの霊魂から生じるという意味ではなく、

 あらゆる物体の状態が変化させられる外力が、物体に内在するということには、

  わたしはすぐに同意するが、

   それが他の物体内に内在すると常に理解されるなら、

    状態の変化を受けるその内部には決して(それは内在し)ない。


それはむしろ、同じ状態を貫くという反対の性質を持つ。


さらに、これらの外力が物体内に内在する限りにおいて、

 これらの物体は、それらが互いにある関係を持ってさえいれば、

  他の物体の状態が変化させられることにより、外力を供給しうるのかもしれない、

   と言われるべきである。


第4の命題は完全に偽であるにちがいない。


そして、その結果は、先のこと全てから、

 むしろ全ての物体は、これらの哲学者が導き出した結論の真逆である、

  同じ状態を維持する力を付与されているということである。


そして、それらがその状態を維持することによる物体のその性質に、

 外力と言う名前を与えることは、むしろばかばかしい、

  と私はここで述べるべきだろう。


というのは、もしわれわれが、外力と言う言葉により、

 物体の状態を変えうる全てのものを理解すべきならば、

  それらがその状態を維持するという性質はむしろ外力とは逆である。


それゆえ、ある作家が、その本質であり、かれらが不活性の力と命名する慣性に、

 力の名前を与えることは、言葉の濫用である。

しかし、たとえこの濫用が非常にひどい誤りへと導いたとしても、

 (わたしは)言葉について言い争うつもりはない。


モナド仮説に戻ろう。


命題4は偽であるので、

 続いて見い出される以下(の事)も、必然的に偽となるはずである。


さらに同様に、物質またはモナド(単子)の要素が、

 もしそのようなものが存在するとして、

  それらの状態を変化する力を備えるということは偽である。


真実は、むしろ同じ状態を維持するという逆の性質に基づくはずである。


そしてそれにより、全モナド仮説は完全にくつがえされる。


これらの哲学者は、逆の力を超越した、

 それらの状態を変える能力と共に付与された精神と魂を包含する存在という種に、

  物質の要素を分類しようとした。


というのは、私が手紙を書く間、

 私の魂は、それ自身に対する別の対象を常に意味し、

  これらの変化は全く私の意志に依存する。


私は完全にそれを確信するし、私が私自身の思考の主人であることに変わりない。


ところが、物体内に起こる変化は、外からの力の効果なのである。


1速度と1方向のみ可能な物体の状態と精神の思考との間の計り知れない相違に加え、

 さらに、あなたは、

  精神は物質の変形にすぎないと偽る唯物論者の意見の虚偽性を

   完全に納得するだろう。


これらの紳士は物体の真の性質についての知識を持たないのである。


     1760年11月15日

 

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