自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

スポンジの場合が、おそらく、物体の不可入性ヘの反論として出されるだろう。


即ち、水に投げ込まれると、水より完全に貫通(浸透)されるように見えるからだ。


しかし、スポンジの粒子は、

 水の1粒子がスポンジの1粒子と同じ場所を占有するはずであるといった方式とは、

  まったく異なる。


スポンジが非常に多孔質の物体であることをわれわれは知っている。


しかも、それが水に入れられる前に、その細孔は空気で満たされている。


水がスポンジの細孔に入るとすぐに空気は押し出され、小さな泡の形で開放される。


それゆえ、この場合は、水による空気の、または空気による水のいづれの貫通も起きない。


この後者(空気)は常に水が入ってきた場所から押し出される。


さらに、それは貫通できないあらゆるある物体の一般的且つ本質的な特性である。


そしてその結果、この定義の妥当性が認められねばならない。

即ち、物体は貫通できない広がりなのである。


同時に広げられ、且つ貫通できないことが
 物体の正当性であるのと同様に、

  全ての物体が広げられ、且つ貫通できないばかりでなく、さらに相互的であるように。


従って、真空は物体の種類から除かれる。


というのは、それは広がりを持ちながらも、不可入性を欲するのである。


さらに、われわれがどこで真空を偶然見つけようとも、

 これらの物体は、その場所の外へ何も強く押し出すことなく、挿入されるだろう。


われわれは、物体の不可入性に対して発生する別の困難を排除しようとしなければならない。


それらは、反対者の言うところの、より小さな空間への圧縮を許す物体である。


例えば、それが占有するよりも1000倍も小さい空間に縮小することができる
 ウールや特に空気である。


そのとき、空気のさまざまな粒子が同じ場所に圧縮され、

 その結果、それらは互いに貫通するように見える。


しかしながら、この中には何も無い。


と言うのは、空気もまた物体であり、また、物質が空の細孔を満たしているか、

 または、われわれがエーテルと呼ぶ、
  より薄く広がり、入り込むことのできないその流体で満たされているからだ。


真空が低下するに従い、空気の粒子が互いにより接近するだけであるため、

 最初の場合、貫通は確実に起きないだろう。


そして他の場合では、

 その間中、如何なる相互の貫通も無しに、空気の粒子は互いに接近するので、

  エーテルは抜け出すための十分小さな通路を見つける。


この理由から、われわれが空気をさらに圧縮したいとき、

 巨大な力を使用することが必要なのである。


さらに、もし空気が、その微粒子が互いにぶつかるような度合いにまで圧縮されたなら

 われわれはそれ以上圧縮を進めることはできない。


なぜなら、それが可能だったなら、空気の微粒子は相互に貫通しなければならないからだ。

そのとき、2つの物体が互いに貫通しないか、または一度に同じ場所を占有しないことが

 必須でかつ本質的な自然の法則となる。


さらに、われわれが全ての物体に見るあらゆる運動や、
 それらに生じる変化の真の源を発見することは、この原理と一致する。


2つの物体は互いに貫通すること無くそれらの運動を継続できないので、

 一方が他方に取って代わられるということが絶対的に必要である。


さらに、もし、2つの物体が同じ線上で一方は左へもう一方が右へ運動しているならば、

 それは頻繁にビリヤードで起きるので、

  もしそれぞれがその運動を継続するはずなら、

   それらは互いに貫通しなければならない。


しかし、それらが接触するとすぐに、衝撃が生じ、

 各物体の運動がほぼ瞬時に変化させられるので、これは不可能である。


この衝撃は貫通を妨害するためにのみ自然に生み出される。


各物体の運動は、正確に全ての貫通を妨げるのに必要である以上には変化させられない。


そして、世界で発生する全ての変化の真の原因はこれで成り立つ。


全てのこれらの変化が注意深く検討されるとき、

 これらの変化が続いて起きなくとも、

  ある貫通を妨害するために起きることが常に発見される。


私が手紙を書いているちょうどその時、

 もし紙が貫通可能なら、書かなくともペンは自由に紙を突き抜けるだろうということに、

  わたしは気が付く。


しかし、紙はインクで濡らした私のペンの圧を支えるので、

 ペンは紙からこれらの手紙を形成する何らかの粒子(の力)を受けとめる。


即ち、もし物体が互いに貫通するならば、(それは)起こらないだろう。

不可入性という言葉で知られる、あらゆる物体のこの特性は、

 人類の知識のあらゆる分野に関わる非常に重要なものであるばかりでなく、

  全てのその驚異を生み出すために

   自然が始動させるマスタースプリング(主要なバネ)として

    われわれはそれを考えてよい。


その時、われわれがより明確に物体の性質や

 一般的に運動の法則と呼ばれるあらゆる種類の運動の原理を説明するためには、

  それ(不可入性)は慎重に調査するに値する。

      1760年11月25日

 

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