次に、引力(gravity:重力)または重さは全ての地球上の物体の特性であり、
それは同様に月にも及ぶ。
月が地球に向けられるのは引力(gravity:重力)によるものである。
そして引力(gravity:重力)は、
それが投げられた石または発射された大砲の砲弾の運動を丁度支配するように、
その運動を規則正しくする。
われわれはニュートンからこの重要な発見の恩恵を受けている。
ある日、
りんごの木の下に横になっていたこの偉大なイギリスの哲学者および幾何学者の頭上に
りんごが落ちるという事件が起きたことで、彼に多くの考えを示唆した。
りんごを枝に付けていた力に打ち勝つことによって、
引力(gravity:重力)がりんごの落下の原因だと彼は直ちに想像した。
誰もが同じ考えをしたかもしれないが、イギリスの哲学者はよりいっそうそれを追求した。
常にりんごに作用するこの力は、木よりもっと相当な高さにもあるのだろうか?
かれは疑いなくそれをうまく考えることができた。
しかし、その高さは月のそれと等しいだろうか?
そこで、かれはりんごが落ちるか落ちないかを決定するのに行き詰った。
しかしながら、それが落ちる場合、大いにありそうに彼には思えたのだが、
それが落下するのを止めている木の高さまで跳ね返ることを想像することは不可能なので、
さらにそれが地球に向かわされる一定の大きさの引力(gravity:重力)を有する違いない。
それ故に、もし月が同じ場所にあったなら、
りんごに作用する引力(gravity:重力)と同じ力によって月は地球に向かわされるはずである。
それでも、月は彼の頭上に落ちないので、
ちょうど爆弾が、垂直に落ちることなくたびたびわれわれの上を飛んでいくように、
その運動は引力(gravity:重力)が原因であるはずだ、
と彼は推測した。
月の運動と爆弾のそれの比較から、かれはこの問題を注意深く吟味することに決めた。
そして、最も崇高な幾何学により助けられ、
かれは運動中の月が、爆弾の運動を制御するのと同じ法則の対象になり、
さらに、もし月の高さまで同じ速度で爆弾を強く投げつけることが可能ならば、
地球からそれほど離れた爆弾の引力(gravity:重力)は、
地球の表面に比べ相当小さいというこの違いがあるだけで、
爆弾は月と同じ運動をするだろう、
ということを発見した。
この詳細から、この問題における哲学者の最初の推論は非常に簡単で、
道化師のそれらとほとんど相違なかったことがわかるだろう。
しかし、かれはすぐに道化師の段階を遥かに超えてそれらを推し進めた。
さらに、その(地球の)近くの全ての物体ばかりか、
月までの距離ほども遠く離れた物体までもが、
引力(gravity:重力)と呼ばれ、物体が地球から離れるのに比例して減少する力により、
地球の中心へ向かう傾向(性質)がある、
ということは、地球の非常に驚くべき特性である。
イギリスの哲学者は、ここで止まらなかった。
彼は他の惑星が地球と完全に同じであることを知ったので、
かれは各惑星と隣り合う物体は引力(gravity:重力)を受け、
この引力(gravity:重力)の方向が惑星の中心に向かうと断定した。
この引力(gravity:重力)は、地球と多少の違いしかないだろう。
言い換えれば、われわれと共にある惑星の表面に運んだある重さの物体は、
そこでは多少重いかもしれない。
ついに、各惑星のこの引力(gravity:重力)の力は、
同様にそれらの周りの巨大な距離にまで拡張される。
そして、われわれは、月が地球の周りを回るっている様に、
木星が4つの衛星をもち、土星が5つの衛星をもつことを知っているので、
木星の衛星の運動が、惑星の中心へ向かうそれらの引力(gravity:重力)により、
さらに土星の中心へ向かうそれらの引力(gravity:重力)により、
土星の衛星の運動も制御されている
ということ疑いようが無い。
このように、同じ法則で、月が地球の周りを運動し、
それらの個々の衛星が木星や土星の周りを運動するように、
全ての惑星自身が太陽の周りを回転運動している。
即ち、太陽は、太陽の引力(gravity:重力)と呼んでよい力により、
その中心へ向かい全ての物体を引き付ける(attracting)という同じ特性を授けられている。
この力はそれおよび全惑星を遥かに越えた桁外れの距離にまで広がる。
つまり、あらゆるそれらの運動を制御するのがこの力である。
同じ偉大な哲学者は、
それらが中心へ引き付けられる力の知識から、
物体の運動を決定する方法を発見した。
そして、かれは惑星に作用する力を発見し、
さらにそれらの運動の正確な記述を与えることを可能にした。
事実、彼が明らかにする以前は、世界は天体の運動に関して深い無知の状態にあった。
そして、われわれは今天文学という科学を楽しむという全ての事実に対し彼の恩恵を受けている。
いかに全ての科学の進歩の多くが、非常に単純で独創的な考え方に依るものかに驚かされる。
ニュートンが偶然に果樹園で横になっていなく、
りんごが彼の頭に落ちる好機がなかったとしたら、
われわれはおそらくまだ天体の運動やそれらに依る多くの他の現象に関して
同じ無知の状態にあったかもしれない。
このテーマは間違いなく、あなたが注目するのに十分価値があり、
ゆえにこの先の手紙で再開されるでしよう。
1760年9月3日