自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

2つの事柄についてあなたが見てきたように、
 光線の反射に関わるあらゆるものは縮小される。


その内の1つは、反射光線が表わす鏡像の位置であり、
 もう一つは、物体に対する鏡像の関係である。


普通のまたは平らな鏡では、
 物体の鏡像は、鏡の前の物体との距離に等しい鏡の背後にあり、

  さらにそれは物体と同等で相似である。


2つのこれらの事情のため、鏡が平面でないときばかりか、
 その面が凸または凹であるときも、われわれは注意しなければならない。


というのは、2つの場合どちらも、鏡像は、ほとんどの部分に対し、妙に外観を損なわれる。


非常に高度に磨きを掛けられたスプーンの前に何らかの物体を置くと、

 凹面鏡のその内側の表面から反射されようと、
  また凸面鏡の外側の表面から反射されようと、
   あなたは大いに外観を損ねられた鏡像をみる、

    ということにあなたは度々気づくに違いない。

細かく磨かれた銀の球は十分正確だが縮小された物体を表示する。


もし球体の内側の表面がよく磨かれていると、物体は拡大されたかのように見える。


それには、それらがあまり離れていないという条件が常に規定される。


というのは、もしそれらが鏡から離れた位置へ移動されたなら、
 同じ物体がさらにより小さく、且つ反転して見えるだろう。


全球体を調べる必要はない。

その表面のどの部分であろうと同じ効果を生み出す。

これらの鏡は球面状であると命名される。


そして、それらには2つの種類がある。


それらが球面の内側または外側の表面になっているかにより、
 一つは凸面と呼ばれ、もう一つは凹面呼ばれる。


それらはさまざまな金属を混合され、細かく研磨できる。


ところが、平面鏡は平面ガラスでつくられ、

 さらに光線の通過を止め、
  且つそれらを反射するように意図された水銀により片側を蔽われている。


わたしは、まず凸の鏡から始める。


ACB(Fig19)をGを中心とする球の一部分である鏡としよう。


もしあなたがこの鏡の前の遠く離れた距離に物体Eをおけば、
 その鏡像は鏡の背後、
  球面の半径CGの中点であるD点にみえるだろう。


そして、この鏡像の大きさは線CDとCEに比例した
 物体のそれ(大きさ)となるだろう。


それゆえに、実際のところ、
 線CDが線CEよりもかなり小さいので、
  この場合、それは対象物よりもかなり小さくなるだろう。


もし物体Eが鏡に近かったら、その鏡像とかなり同じになるだろう。


たとえある入射光線EMであっても、
 MNの方向に反射されることを仮定することにより、

  これは幾何学的な原理に基づいて証明可能である。


故に、角BMNは角CMEに等しいだろう。


ゆえに、反射光線MNを受けている目がNにあるとき、


その方向によって、それ(目)は対象物Eを見るだろうし、
 D点で鏡の中にそれを観察するだろう。


また、言い換えるなら、DはE点に置かれた、小さいけれども、物体の鏡像であろう。


同様に、鏡が一部分であるその球面が小さければ小さいほど、
 さらに、鏡像が縮小すること
は容易に見ることができる。

私は凹面鏡に話を進める。


その利用は多くの場合、非常に一般的である。


ACB(Fig20)を中心がG、半径がGCの球面の一部をなす鏡としよう。


鏡から非常に離れた物体Eを仮定しよう。


その鏡像は鏡の前、半径CGの中点Dに表れるだろう。


というのは、たとえ鏡の表面M点に向かう、
 物体Eからのある光線
EMでも、

  その結果、点Dを通過するような仕方で反射されるだろう。


さらに、目がN点に置かれるとき、それはDで物体を見るだろう。


しかし、この鏡像はCDとCEの比で表される(大きさの)物体となり、
 その結果、この場合それよりも小さいだろう。


そして、あなたが鏡を物体の近く持ってくると、鏡像は隠れてしまう。


中心Gに物体を置くと、同様に鏡像はそこにある。


もしあなたが物体をさらにDの前へともっていくと、
 その鏡像はEを超えて永久に消えてしまう。


しかし、もし物体がCとDの間のさらに前方へ置かれると、
 鏡像は鏡の後ろにさがり、物体よりも大きく見える。

あなたがCとDの間のある点でそのような鏡の中にあなた自身を見るとき、
 あなたの顔は恐ろしくおおきな顔に見えるだろう。


これは、入射角EMAが常に反射角CMNに等しいことによる、反射の性質から説明される。


この種の鏡には、天日採りレンズがあてはまり、あらゆる凹面鏡は燃やすために使われる。


この注目すべき特性はさらに特別な説明をするに値する。

ABC
(Fig21)をGが中心の凹面鏡としよう。


物体の代わりに、太陽が
Eにあるとしよう。


太陽の反射光線は
CGの間の中点D点に太陽の鏡像を現すだろう。


そこで、この鏡像の大きさは一番端の光線
SCSCにより決定されるだろう。


太陽のこの鏡像は、従って、非常に小さいだろう。


そして、鏡
ABCに向かう全ての太陽光線はこの鏡像に反射されるので、

 それら(全ての太陽光線)はそこ(この鏡像)に集光され、

  さらに鏡像Dが鏡の表面よりも小さいので、

  よりいっそうエネルギーを持つだろう。


しかし、それらを照らす物体と同様に、

 太陽光線はそれらが向かう物体を暖める特性を持っている。


故に、その結果、
Dで多大な熱となるに違いない、といえる。


そして、鏡が十分に大きいとき、
 この熱は最も激しい炎以上に強力になるかもしれない。


事実、そのような鏡により、あなたは直ちに可燃性の物体を燃やすこと、
 またあらゆる種類の金属を溶かすことさえも可能だ。


これらの驚くべき効果を生み出すのは太陽の鏡像のみである。


この鏡像は通常は鏡の焦点と呼ばれる。

それは常に鏡とその中心Gの間の半径CGの中点に向かう。

あなたは天日鏡と天日採りレンズを慎重に区別しなければならない。


それについて、私は私の次の手紙で何らかの説明を与えるだろう。

    1760年8月9日

 

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