自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

私が視覚の現象についてあなたに述べたことは、

 複雑な数学の1分野であり、その上物理においてかなり上級に位置する光学に属する。


色の他、私が説明しようと努力してきたその性質は、
 像が作られる方法や対象物が見られるさまざまな角度を取り扱うための
  光に関する主要な関心事である。


われわれからの距離が少ないかまたは多いかにより、

 同じ対象物が、ある時には大きな視角で、またある時には小さな視角で見られる

  ということを、あなたは既に気がついたはずである。


さらに言えば、小さな対象物が非常に近いか、
 大きな対象物が非常に離れているとき、
  前者(小さな対象物)が後者(巨大な対象物)のように同じ角度で見られだろう。


太陽全体をおおうように、小さな皿を目のまえに置いてもよい。


そして、実際には、1フィートの半分(約
15.3cm)の直径の板が
 54フィート(
54フィート=0.3048/フィート×54フィート≒16.5m)の距離をおいて
  正確に太陽を蔽うと、同じ角で見られる。


しかし、板の大きさと太陽の大きさとの間には驚くべき相違点がある。


満月は、結論として実際には非常に小さいにも関わらず、
 大きく、太陽とほぼ同じ視角でわれわれにはみえる。


しかし、太陽は月よりもわれわれからほぼ400倍離れていることをよく考えるべきである。


視角は光学においてより重要な、ずば抜けた特徴である。


即ち、眼底に描かれる対象物の像はそれ(視角)に依るのである。


視角がより大きければ大きいほどまたは小さければ小さいほど、
 それら(対象物)はより大きくまたはより小さくなる。


そしてわれわれは自身の外に対象物を見るので、

 それらの像が眼底に描かれる限りにおいて、

  それらは像または感覚の直接の対象物に等しい。


それゆえに、これらの像の一つがただ3つの知識へとわれわれを導く。


第一に、その外観と色は、
 そのような外観とそのような色の類似の対象物がわれわれの外にあるという結論を導く。


第二に、その大きさは、対象物がわれわれに見える視角を見いだす。


そして、最後に、その眼底上の位置は、

 われわれと比較して、またはそれから発せられる光線がわれわれの眼に到達することで、

  外の対象物の方向をわれわれに知らせてくれる。


これらの3つの原理で視覚の現象が成立する。


そしてわれわれは、第一に外観と色を、
 第二に視角または見かけの大きさ、
  そして第3に方向または
われわれが物体が存在すると結論する位置を、
   知覚するだけでる。


そのとき、われわれは視覚から、
 対象物の真の大きさもそれらの距離に関しても何も見いだすものはない。


たとえ、われわれが対象物の大きさや距離を目で判断できると、度々思ったとしても、

 これは視覚の作用ではなく、理解力の作用なのである。


その他の感覚や長く立っているという習慣は、
 対象物がわれわれからどのくらい離れているかを計算することを可能にする。


しかし、この能力は遠くない距離の対象物にのみ及ぶ。


それらが相当な距離になるときはいつでも、われわれの判断力は正確にそれを実行できない。


そして、もし、ときどきわれわれが一か八か思い切って賭けてみるならば、
 それは一般的に真実から程遠くなる。

よって、月の大きさや距離が(見て)わかると言って偽るものはいない。


そして、像が同じ角度で見られる地上の物体のそれ(大きさや距離)に等しい
 と考えることで
庶民が最初に判断できると思うとき、

  かれらが惑わされるのは像のせいではなく、
   かれらが、手の届く範囲をはるかに超えた対象物に適用したいという判断によるのだ。


それゆえに、眼が対象物の距離や大きさに関して何も決定できないことだけは確かである。

このテーマのため、人生の老年期に手術により視力を手に入れた生まれつきの盲人という

 非常に注目すべきケースが参考にされて良い。


この人は最初まぶしそうだった。

かれは対象物の大きさや距離に関して何も区別できなかった。

何もかもがあまりに近くに見えたので、かれはそれらを手で掴もうとした。


真の視力の使用を可能にするためには、相当な期間と長い訓練が必要とされた。


かれは、子供の時期にわれわれが行うような、
 そして後に記憶にも残らない、長い見習い期間をつとめる必要性の下にあった。

まさしく、

 対象物が、それがより近くにあるから、
  ずば抜けてはっきりと明瞭にわれわれの前に見える
   ということが、われわれに知らされる。


そして、逆に、はっきりと明瞭に見える物体は近いというよりも、である。

さらに、それがぼやけて不明瞭に見えるとき、即ち、それは遠くにある。

ゆえに、

画家が遠くにあるように見せたいと望む対象物の色合いを弱めることにより、

 さらに、彼らがより近くにあるように表現したい対象物の色合いを強めることにより、

  画家は、かれらが生み出すそうとする効果にあわせて、
  (絵を見るときの)われわれの判断を決めることができる。


さらに、かれらはあまりにも完全にうまくやるので、

 われわれは、絵の中に表現されるある対象物を

  他のものよりもっと離れているかのようにみなす。

   −もし像が対象物の実際の距離と大きさをわれわれに気づかせたなら、
    起きないはずの勘違いである。

1760年8月1日

 

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