あなたは、対象物の表面の微小粒子が撹乱され、
さらに微小粒子の振動の周波数が色を決定することによる
対象物の可視の理由が非常に高速な振動運動であることをいま正に知った。
これら(対象物の表面)の粒子が、
発光する物体内と同様に固有の力により攪拌されるのかどうか、
それとも、不透明な物体内のようにそれらが照射されることにより、
照明または無関係な光からその攪拌を受けるのかどうか、
ということは同じことである。
楽器の弦の振動の周波数がその太さと張力の度合いに依存するように、
振動の周波数または速度はこれらの粒子の総数およびそれらの弾力による。
このように、植物の葉が元気な限り緑色を保つように、
物体の粒子が同じ弾力をもつ限り、それらは同じ色を表わす。
だが、それら(植物の葉)が乾燥し始めると、
そのとき発生する弾力の差異が、さらにさまざまな色を生み出す。
これは、私が既に議論したテーマである。
次にわたしは、なぜ日中、天が我々には青色で見えるのか?の説明を続ける。
この現象を庶民の目で観察すると、
画家が天上に空を描くように、
どうもわれわれは巨大な青色の丸天井によって囲まれているように見えるらしい。
わたしが、この偏見に関してあなたの迷いを覚まさせる理由はなにもない。
小量の反射であっても、
星が非常に多くの光る飾りびょうのように貼り付けられている天は、
青色の丸天井ではないことを、あなたが理解するのには十分である。
あなたは、
星が我々からは想像もつかない距離にある巨大な物体であり、
ほとんど無の、またはエーテルと呼ばれる
薄く広がる物質によってのみ満たされている空間中を自由に運動していることを、
すっかり納得させられる。
そして、この現象が、
全く透明ではない我々の大気によるものであることを、
わたしはあなたに示すだろう。
地球表面の上へますます高く上昇することが可能なら、
それが呼吸を助けることを止めるまで、
空気は次第にますます希薄になるだろう。
そして、ついには全く呼吸を止めるだろう。
そのときわれわれは純粋なエーテルの領域に到達するはずだ。
従って、われわれが山に登るのに比例して、気圧計の中の水銀は下がり続ける。
なぜなら大気は一層軽くなるからだ。
その上、天の青空の色がより微かになっていくことに気づくだろう。
そしてそれが純粋なエーテル内に備わっていたなら、それは全く見えないだろう。
上方をみると、われわれはまったく何もみえないはずであり、
天は夜のように暗黒に見えるだろう。
つまり、われわれに届く光線がないのであり、あらゆるものが黒の外見をまとうのである。
なぜ天は青く見えるのか?という問いに、良い理由がある。(*1)
エーテルがそうであるように、空気が完全に透明な媒体であったなら、この現象は存在しない。
その場合、われわれは他の光線ではなく星の光線を受けるはずだ。
しかし、日光の輝きがあまりに強いので、弱い星の光はそれによって吸収されてしまう。
あなたは、日中にかなり離れた細ろうそくの炎を知覚することができない。
しかし、夜では同じ炎がはるかに離れても非常に輝いてみえる。
これは、われわれが、
空気の非透明性の内に、天の青色の原因を探さねばならない、
ということを証明している。
空気は大量の小さな粒子を詰め込まれている。
それは、完全に透明ではないが、
太陽光線により照射されることで振動運動をそれらから受け、
これらの粒子に固有の新たな光線を生み出す。
さもなくば、それらは不透明であり、且つ照らされることにより我々に見えるようになる。
さて、これらの粒子の色は青である。
そしてこれは現象を説明する。
空気は小さな青い粒子を大量に含む。
さもなくば、その微小粒子は青っぽいが、
色の粒子は非常に繊細であり、
莫大な質量の空気の中でのみわれわれに知覚可能となる、といわれる。
このように、室内では、われわれはこの青の他に知覚できるものがない。
しかし、全大気の青っぽい光線はすぐに我々の眼を貫き、
個々の色がどんなに細かくとも、
それらの全体は非常に深い色を生じるかもしれない。
これはあなたがよく知っている別の現象によって確認された。
もしあなたが適度に離れて森をみるならば、それはほとんど緑に見える。
しかし、あなたの距離が増加するのに比例して、
青っぽい色合いをもたらし、これは次第により深い色となる。
マルデブルグから見られるであろうハーツの山の森は、
それゆえ青に見えるが、ハルバーシュタットから見たならば、森は緑である。
マルデブルグとこれらの山の間の多量の空気がその原因である。
しかしながら、空気の青っぽい粒子がいかに微かでまれであろうとも、
その間にはそのような莫大な量の空気がある。
すぐに目に入る光線は、即ち、それらはかなり深い青を表わす。*
空気が白っぽい色の多大な量の不透明な物質の粒子を混ぜられるとき、
われわれは霧の中で同じ現象に気づく。
編注)*
もっとも純粋な春の水が白いもので覆われた巨大な貯蔵庫の中にあるとき、その色合いは変わることのない青い色である。ゆえに、スイスの氷河内の多量の透明な氷の青い色が、さらに、ジュネーブの湖の外に流れ出すローヌの澄んだ青色が生まれる。
小さな距離で調べるだけでは、あなたはほとんど霧を知覚できない。
しかし、かなりの距離になると、白っぽい色がかなり知覚できるようになる。
その程度になると、それを透かして見ることは不可能である。
海水は一定の深さまで緑に見える。
しかし、あなたが少量手に取ると、
ほぼその瞬間、ガラスが含まれるかのように、それは十分に透明であり、
わかるほどの色はほとんどない。
しかし、広大な範囲では、
あなたがその底の方を見るとき、
集められた非常に多くの緑っぽい光線が深い色を生み出す。
1760年6月27日