自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

太陽は光を発する物体であり、その光線は全方向至る所に拡散されるため、

 あなたはもはや太陽の全粒子が攪拌される、振とうおよび振動から成るこのすばらしい現象を
  
説明するのに困ることはない。


類似したベルがこの事実の説明に驚くべき助力を与えてくれる。


しかし、エーテルは比較できないほど空気より薄く広がっているので、
 光により生じる振動は、音により生成されるそれらよりさらに一層激しく
  且つ急速でなければならないことは明らかである。


弱い攪拌はその中で音を生み出すような空気を揺り動かす能力がないので、

 ベルの攪拌やあらゆる他の良く鳴り響く物体の攪拌は、

  光を構成する振動をその内部に生じるにはエーテルに比べてあまりに弱い。

知覚可能な音を生じるためには、
 30以上7552以下の振動が瞬時に生成されねばならないということを

  あなたは思い出すだろう。


空気はあまりに薄く広がりすぎており、
 1秒間に30振動以下に一致する音から知覚可能な効果を認めることはできないが、
  1秒間に7552振動以上の音を受けることにも十分ではない。


これよりも高い音はまったく聴くことができない。


それはエーテルについても同じである。


1秒間に生成される7552振動はもっと薄く広がっているので到底それに作用することはない。


それはさらにもっと多くの振動を必要とする。


攪拌は非常に急速で、
 われわれの感覚では捕らえられない物体の最も微小な粒子を発生ことはできない。


そのとき、太陽の光は、毎秒何千回も揺り動かされる度に、

 全ての太陽の不滅の微小な粒子に影響を与える、非常に激しい撹乱により生成される。

それは、われわれに光を与え、
 且つ夜の間太陽と取って代わるろうそく、細ろうそく、たいまつなどのような

  あらゆる炎や恒星の光を生成する同じ攪拌である。


蝋の光の輪郭を注意深く観察すると、
 最小の粒子の中に不変で驚くべき攪拌があることを

  あなたは容易に認めるだろう。


そしてニュートンの仮説が、
 1秒間に170,000イギリスマイル(約
27.4Km)の速度で
  最小の粒子を送出する能力のあるもっとも巨大な攪拌を要求するかぎり、

   私の仮説が如何なる反論に対してもこちら側で責任を負う義務があることを、
    私は解っている。

次に、これは自身で光を発する物体の性質の説明である。


というのは、われわれの地球と同じ月や惑星のようにあまり急速ではなく光を発する物体がある。


われわれは、月が太陽により照らされているかぎり、またその時のみ月を見る。

そして、これはそれ自身が光をもつ、火を除いたあらゆる地上の物体の場合である。

しかし、不透明体と呼ばれる他の物体は、
 それらがある光を発する物体により照らされるときのみ、われわれに見えるようになる。


非常に暗い夜に、またはアパートメント内で四方をぴったりと閉めると、
 光は入る場所を見出せず、
  あなたが暗闇であなたを取り巻く対象物を見ることは全く無駄である。


あなたはなにも感じることができない。


しかし、弱い光がもたらされた瞬間、
 あなたは弱い光ばかりか、
  前には見えなかった他の物体もすぐに見えようになる。


そのとき、われわれは、
 光りを発する物と不透明な物体の間の非常に本質的な相違を知るのである。


わたしは、透明ではない物体を意味する不透明な物(
opaque)という言葉を既に使用した。

しかし、それはほとんど同じこととなる。


そして、たとえそれらが完全にふさわしくなくとも、
 われわれは表現の共通の方法に自身を適応させねばならない。


光りを発する物体はそれら自身の光により見え、
 その一方で暗闇が最も深いとき、
  それ以上は決してわれわれの視覚器官に影響を及ぼさない。


ここで私が不透明体と呼ぶものは、
 それらとは無関係の光によってのみわれわれに見えるようになる。


それらが暗闇に留まらないとき、われわれはそれら(不透明体)を知覚する。


しかし、それら(不透明体)が光りを発する物体に晒されるやいなや、
 その光線がそれら(不透明体)にぶつかり見えるようになる。


そして、それら(不透明体)は無関係な光が消える瞬間に消える。


光りを発する物体の光線が直ちにそれら(不透明体)に降り注ぐべき必然性もない。


良く照らされるとき、別の不透明体は、弱い方法ではあるが、ほとんど同じ効果を生み出す。

月はすばらしい例である。

われわれは月が不透明な物体であることを知っている。

だが、月が太陽により照らされるとき、さらに夜の間われわれは月を見る。


月は全ての不透明な物体へ弱い光を拡散し、

 さらに、われわれが月の助け無しには知覚できないこれら(不透明な物体)を、

  われわれに見えるようにする。

家の方角が北向きで、
 当然太陽光線が入ることのできないアパートメント内に昼間いた場合、
  しかしながら、それは全く明るく、しかも私はあらゆる対象物を区別できる。


この明るさの原因は何か?
 一方、全天空は太陽によって照らされているのだろうか?


われわれが紺色の空と呼ぶもの、
 そして一方で、私のアパートメントとは反対側の壁や対象物の周囲にある他のものは、
  太陽によって直ちに、
   また、光のその焦点作用に晒されている他の不透明な物体により中間的に照らされる。


そして、物体を発光させるあらゆるこれらの不透明体の光は、

 それが私のアパートメントの中に入る事が許される限り、

  つまり、窓が高く、広くそしてうまく配置されていることに比例して、

   それを発光する。


私が既に述べたように、
 ガラスは、光線を自由に伝達する透明な物体なので、
  ほとんどもしくは全く(光線の伝達を)妨害しない。

私が雨戸を閉じることによりアパートメントから光を完全に遮断した場合、


私はむりやり暗黒の状態に置かれ、

 私がろうそくを取りに行かない限り、対象物を見分けることができない。


ここに発光体と不透明体の本質的な違いがある。


さらに、目だった類似点、即ち照らされた不透明な物体は
 他の不透明な物体を照らし、

  自身で光る物体同様に、ほぼ同じ効果をこの関係において生じる。


この現象の説明はこれまで大いに哲学者を悩ませてきた。


しかし、わたしは心の内では、
 それに関する私の解決策は明快で満足行くものである、
と思っている。


1760年6月24日

 

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