星の光がわれわれへと進んで来るのに費やす時間について、
わたしが関わってきたこの所見は、
宇宙の広さや偉大さという注目すべき考えをもたらす。
1秒間に1000フィート(約304.8m)の空間を飛ぶ音の速度により、
われわれはほぼ初めて計測の基準を備えることになった。
それは元気な歩行者の歩調の約2000倍の早さである。
さて、光線の速度は音の速度の900,000倍もある。
よってこれらの光線は
毎秒900、000、000フィート
(0.3048m/フィート×900,000,000フィート=27,4320,000m=274,320km≒27.4万km)
または170,000イギリスマイルの進路を進む。
なんと驚異的な速度であろうか?
最も近い恒星はあまりに遠く、
この桁はずれの速度にもかかわらず、
その光線がわれわれへ降りそそぐのに6年以上かかるだろう。
そして多量の雑音が、
大砲の発射時の爆音のようにその星から発してわれわれの耳へ運ばれる可能性があるなら、
それはわれわれに届くまで5、400、000年の期間を要するだろう。
そして、これはもっとも光り輝き、
且つおそらくわれわれに最も近いこれらの星のみに当てはまる。
最も小さくみえる星は、さらにもっと遠く、おそらく10倍かそれ以上である。
そのとき、おそらくこれらの星の光線がわれわれに届く前に、
少なくとも全世紀が経過するはずである。
毎秒170、000イギリスマイルの速さで飛ぶ速度によっても、
100年以下で通過することができないとは、なんと桁外れな距離であろうか!
その上、これらの星の一つがちょうど今すっかり消滅したとすると、
放射された最後の光線がより少ない時間でわれわれに到達することはできないので、
われわれは到達までまだ100年間はそれを見続けることになるのだ。
人類の大部分は、宇宙の莫大な広さに関する正しい考えを持っていない。
多くの人々は、唯一つの機会が生まれるかもしれない研究をほとんど重要でないと考える。
しかし、観察中に、考える人間の驚異となるはずのもの、
即ち、全てのこれらの巨大な物体がもっとも完成された知識で整理される。
つまり、われわれが問題の知識を習得すればするほど、
たとえそれが全く不完全であろうとも、
われわれはより一層、それらの秩序と荘厳さを賞賛するようになるに違いない!
私は非常に光り輝く物体、
そして特に、われわれが地上で楽しむ光と熱の第一の源である太陽に戻る。
第一に、最小の(質量の)減少を受けることも無く、
太陽が全宇宙に絶え間なく拡散する光をどこで構成するのか?
と問われるだろう。
私が確立しようと努力してきた仮説によれば、答えは明らかである。
しかし、放射の仮説のそれは満足な解決法を提供していない。
われわれは、
エーテルと呼ばれる非常に薄く広がり、且つ弾力のある流体で満たされている全宇宙、
さらに全ての粒子が振動という一定の運動状態にあることにより、
太陽の全ての部分で絶え間ない攪拌状態にあること
を仮定しなければならない。
そして、これは、周囲のエーテルに自身を伝達することにより、
その流体内で同じ攪拌を生じ、
それから、私が述べてきた迅速さで最も離れた領域へ伝達される。
そして、音と光の間の類似性を維持するために、
太陽は継続して鳴りつづけるベルのそれと同じ状態にあるのだろう。
その結果、われわれが光線と呼ぶ波動をエーテル内に生み出すために、
太陽の粒子はこの絶え間ない攪拌の中で維持されねばならない。
しかし、マッチは燃えやすい物質を供給されない限り、
燃焼を維持することなくやがて消える、ということをわれわれが観察するように、
太陽の粒子内のこの攪拌の力が一定に維持されることにより説明することはまだ容易ではない。
しかし、太陽がわれわれの地球の何千倍もの質量を持つので、
たとえそれが一度すっかり燃え上がってしまっても、
なんら目だった減少を被ることなく、幾世代の間はその状態を維持するのかもしれない、
ということに注目すべきである。
一方、この場合は、太陽と、実際の消費の結果から、
全物質のかなりの部分が煙と蒸発物で放散されるわれわれの火やろうそくとは同じではない。
これに反して、おそらくある粒子は煙の形で太陽から押し出されるのかもしれないが、
それらは膨大な距離を移動できずに、その質量の中へ急速に逆戻りし、
そのために、そこには、
かの物質の減少の原因となるいかなる実際の消費もないのかもしれない。
われわれがこの問題との関わりを今だに知らずにいることだけが、
この攪拌の中で太陽の全粒子を絶え間なく維持する力である。
しかし、それが理にかなった矛盾の全くないものを含んでおり、
且つ、われわれは、必然的に太陽より近くのことでさえ何も知らないので、
もしわれわれの考えが反論に巻き込まれなければ、
われわれが満足するのは当然である。
1760年6月21日
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