自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

光線の放射の仮説が克服不可能な困難のもとで熱心に取り組まれ、

さらに、光線が完全にそれ(空間)を満たすような天体のための真空の学説は、
全く支持できないことを
あなたはみてきた。


更に2つのことが認められる。

第一に、天体が運動する空間が薄く広がった物質で満たされている。

第二に、光線は、ニュートンの学説に従うと、
 それらの物質の一部がそれらから激しく放出されることによるのであり、
  太陽や他の輝く物体からの本当の放射ではない。


天体が回転する全空間を満たすあの薄く広がる物質は、
 おそらく非常に巧妙に人を喜ばせるエーテルと呼ばれている。


その考えを形成するためには、
 われわれは、たとえ地球表面で非常に薄く広がっていようとも、

  われわれが上昇するほどいっそう薄くなるという空気の性質に注意しさえすればよかった。


そして、もし私がその表現を用いてよいなら、
 それがエーテル内で次第に失われていき、完全に終わる。


そのとき、天体が、
 感じられるような抵抗を何一つ受けずに自由にその中を回転する、
  とわれわれが確信する限り、
   空気のような流体と同様であるエーテルは、
    比較にならないほどより細かく且つより薄く広がっている。


それはまた、全方向に膨張し、
 さらに一方で真空である空間を貫通する傾向をもつことにより、確実に弾力性をもっている。


それゆえに、もしある事故により、
 エーテルがある空間の外へ押しやられたなら、
  取り巻く流体はすぐに飛び込み、再びそれを満たすだろう。


この弾力性により、エーテルは、
 われわれの大気上にある領域ばかりか、至る所で大気を貫通し、

  全ての物体の細孔のせいで(内部に)徐々に入り込み、

   抵抗を受けることなくそれらを通過するということが発見されるはずである。


あなたが、空気ポンプの助けにより空気を容器から排出したとしても、
 あなたが絶対真空を生み出したと思うべきではない。


というのは、エーテルが容器の細孔から押し込まれて、瞬時に完全にそれを満たすのである。


大気圧計を作るため、適当な長さのガラス管を水銀で満たして、
 さらに水槽内に沈めて逆にすると、水銀よりも高い管の一部は真空となると考えてよい。


なぜなら、空気は完全に閉め出されており、
 それはガラスの細孔を貫通することはできないからである。


しかし、単に目に見えるこの真空は、
 最小の困難もなく徐々に入り込むことで、疑いなくエーテルにより満たされるのである。


私が驚くべき電気の現象をまもなく説明するつもりであるそのことも、
 エーテルのこの巧妙さと弾力性によるのである。


エーテルが空気よりも非常に優れた弾力性を持ち、

 多くの自然現象がそれのせいで発生することは大いにありえることである。

 

わたしはというと、火薬内の空気の圧縮はエーテルの弾性の力の影響であると疑わない。

そして、われわれは実験により、

 その内部の空気が通常の空気よりもおよそ1000倍に圧縮されること、

  さらに、この状態でその弾力が同様に1000倍以上あることを知っているので、

   エーテルの弾力はこの場合もそうであり、

    その結果、通常の空気の1000倍以上であるにちがいない。


そのとき、われわれは、
 エーテルが比較にならないほど薄く広がり且つ弾力性があるというこの相違点とともに、
  多くの点で空気に似ている流体としてそれを熟考することにより、
   エーテルの正しい考えを持つのである。


空気が、この真の性質により、
 よく鳴り響く物体の攪拌または振動を受けるための、
  さらにそれらを全方向に拡散するための最適な状態にあることを知ったなら、

   われわれが音の伝播で見出すように、

    同様に、エーテルが同じ環境で、同じ方法で攪拌を受け、
     莫大な距離へそれらを送出する、ということは自然に思われる。


空気の振動が音を生み出すように、エーテルのこれらへの影響は何であろうか?


あなたは疑いなくすぐに光を推測するだろう。

音が空気と関係すること、また光がエーテルに関係することは
 かなり間違いの無い真実のようである。


即ち、音が空気により伝達される振とうまたは振動からなるように、


光線はエーテルにより伝達される振とうまたは振動以外の何ものでも無い。


その上、太陽はこの場合、振動時のベル以上にその物質を何も失わない。


そして、この仮説を認める場合、
 この球体の質量がいくらか減少するはずであることを理解すべくもない。


私が太陽についていったことは、
 火やワックス・テーパーやろうそく等のような
  全ての輝く物体にも拡張されるはずである。


これらの地球上の発光体は明らかに消耗するし、
 それらが継続的に外から供給されて維持されない限り、
  それらは急速に消えるだろう、と疑いなく反論されるだろう。


つまり、その結果、太陽がやがてはやせ衰えるに違いなく、
 類似のベルはふさわしくないことになる。


しかし、それらの光以外のこれらの火は、
 光線とは慎重に区別されるべきである煙や大量の発散物を出すということが
  熟慮されるべきである。


いまや、明らかに煙と発散物は、光線に依らない相当な減少の原因となっている。

というのは、煙や他の発散物を分離することが可能ならば、
 発光体の特徴が消費の原因ではないだろう。


水銀は技術により、あなたがおそらく見たことがあるように、

 その物質を少しも減らすることなく、発光させられるかもしれない。

 

つまり、光だけが輝く物体を消費することなく生じることを証明している。

かくして、ベルが叩かれるとき、それ自身の振動を周囲の空気へ伝えるように、

 太陽は自身の光線により全世界を照らすが、それ自身の物質を失うことは無い。

 

鐘が叩かれるとき周囲の空気へ自身の攪拌を伝達するように、

 光は一定の攪拌またはその微細な粒子の激しい振動の影響をうけ、

  さらに隣接するエーテルに伝達され、

   その結果、もっとも遠くへとこの流体により全方向に伝達される。


われわれは、鳴り響き且つ光輝く両物体間のこの類似を考えれば考えるほど、
 それが自然に適合し、且つ実験により正当であることをさらに発見する。


ところが、われわれが放射の仮説に自然現象を一致させようとすればするほど、
 さらに困難に遭遇するのである。

1760年6月14日

 

 

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