自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

われわれが24000フィート(≒7315m)という一定の高さへ登った後、
 全ての境界で同じ度合いの冷気を感じるはずであるということは、
  非常に驚くべきことに思える。


というのは、地球上の熱に関わる変動は、
 異なった地域ばかりでなく、同じ国内でも、一年の違う季節でも、
  かなり知覚できるからである。


地球の表面で起こるこの多様さは疑いなく太陽によって引き起こされる。


特に24、000フィート(≒
7315m)の高さはわれわれにとっては莫大でありけれども、
 さらに非常な高さでそびえ立つ山々を遥かに越えた彼方、
  約96、000、000マイル(≒
15千万km)の太陽の距離に比べると
   単に何もないに等しい、ということをわれわれが考えるとき、
    太陽の影響は一見したところ、上も下も同じでなければならないように思われる。


訳注:オイラーは、“手紙1”で地球から太陽までの距離を、地球から月までの距離240、000マイルの300倍、即ち72、000、000マイル(約1億
1600万km)と紹介しているが、この“手紙16”では約96、000、000マイル(約15千万km)と紹介している。どちらが正しいのだろうか?当然後者である。オイラーは全ての計算を暗算で行っており、計算を間違えることはほぼ無かったという驚異の人である。結論としては、300は単なる誤植で400が正しいことになる。


それゆえにこれは、われわれが解決の努力をしなければならない非常に重要な難題である。


この目的のために、
 わたしは、太陽光線がいかなる物体にも熱を伝達しないし、
  それらに自由な進路を与えないことを述べることから始める。


われわれが対象物を識別できるということを通じて、
 物体は透明な、澄んだ、透き通った、と命名されることは周知の通り。


これらの物体は、あるものは他のものより多少は透明度があるが、
 ガラス、クリスタル、ダイヤモンド、水、およびさまざまな他の液体である。


太陽に晒されているこれらの透明な物体のあるものは、
 木や鉄などのような透明でない物体のように温度が上がらない。


透明ではない物体は、不透明体と命名される。


例えば、太陽の光を伝達することにより天日採りレンズは不透明な物体を燃やし、
 その一方でそのガラス自身は目立つほど熱くならない。


太陽に晒した水は多少温かくなる、なぜならそれは完全に透明ではないという理由のみによる。


われわれが川の縁で太陽によりかなり温められた水を見るとき、
 不透明な物体である底は水が伝達する光線により温められる。


さて、あらゆる暖められた物体はあらゆる隣接する物体にその熱を伝達する。

よって、水は底から熱を得る。


もし水が非常に深ければ、
 光線が底まで侵入することができないので、
  太陽はそれに影響するものの、感じるほどの熱を持つことはない。


空気はガラスや水よりも非常に高い度合いの透明度をもつ物体であり、
 光線は自由に空気中を伝達されるので、太陽により温められることはできないのである。


われわれが頻繁に空気中で感じる熱は、太陽光線が暖めた不透明な物体によりそれに伝達される。


そして、全てのこれらの(不透明な)物体を消滅させることが可能ならば、
 空気は太陽の光線によりほとんどその温度になんの変化も受けないだろう。


それ(太陽の光線)に晒されるようと晒されまいと、どちらも等しく冷たくなるだろう。

しかし、空気は完全な透明体ではない。


それは時にはかなりの水蒸気を含んでいるので、
 ほぼ完全にその透明性を失い、薄い霧となって現れる。


空気がこの状態にあるとき、太陽光線はそれにより強力な影響をもたらし、直ちにそれを暖める。


しかし、
 これらの蒸気は24000フィートやそれを超えるような非常に高いところへは上がらない。


空気は非常に薄く広がっており、且つ純粋なので、それは完全に透明である。


そして、この理由から、太陽光線はそれにいかなる影響も直ちにもたらすことはない。


同様にこの空気は地球上の物体から余りに離れているので、
 それらから熱の伝達を受けることない。


それらは隣接する物体などに作用するだけである。


ゆえに、あなたは、
 太陽光線が地球表面上はるか上空の空気の境界で如何なる影響ももたらさないということを
  容易に認めるだろう。


そして、地球上の物体の熱はそんなに遠くへ伝わることができないので、
 同じ温度の冷気が常に、且つ普遍的に、
  太陽がそれらに影響することのない領域に広がっている。


これはほとんど、常に平地や峡谷よりもかなり寒い、非常に高い山々の頂上での場合である。


ペルーの首都キト市はほとんど赤道下にあり、
 さらに、われわれが地球上の条件から判断したならば、
  耐えられない熱気で悩まされると思うだろう。


しかしながら、空気は非常に温暖で、パリの空気とはまったく異なる。


キトは地球の実表面上、かなりの高さに位置している。

海岸からそこへ行くには、何日も登らねばならない。


従って、それは、コルジレラと呼ばれるさらにもっと高い他の山々によって囲まれているが、
 われわれの最も高い山々の高さに等しい高地に造られている。


それが、太陽光線が降り注ぐ不透明な物体の全ての面に隣接するので、
 この後者の環境は、空気はそこで地球の表面と同様に暖かくなければならない、
  と考える理由を与えるのである。

この反論は強固である。

しかも、解決策はこれのほかない。


非常に高く登ったキトの空気は一層薄く、われわれの空気より重力も少ないに違いない。


またかなり低い値を示すバロメータ(気圧計)が明白にそれを証明している。


空気が水蒸気や大気中に常に浮遊する他の粒子をほとんど含まないはずなので、
 そのような性質の空気は一般的な空気のように熱の影響を受けにくい。


また、多く混合された空気が熱の影響を比例して受けることを、経験によりわれわれは知っている。


私はここで同様に驚くべきもう一つの現象を書き足さねばならない。


非常に深い穴や更に低い場所で、
 もしまだ下がることが可能ならば、
  ほとんど同じ理由により、同じ温度の熱が常に且つ普遍的に広がっている。


太陽光線は地球の表面でのみその影響を及ぼすので、
 さらに、それらがそこで刺激を受ける熱は上下に自身を伝達するので、
  多大な深さでのこの影響はほとんど感じられない。


同じことがかなりの高所についても保たれている。


1760年6月3日


編注:* 深部を下降する場合、500フィート(約
150m)の深さでファーレンハイト度約12°に達するので、温度は、一様でなく、かなり増加することが最近発見された。

 

 

 

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