自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

寒暖はあらゆる他の物体と同様に空気にも同じ効果を生じる。

空気は加熱によって希薄化され、冷却により圧縮される。


空気の伸縮性について私が述べたことから、
 全ての他の物体がそうであるように、
  この一定量の流体が一定の空間だけを占有すると決まってはいないと、
   あなたは容易に認めるだろう。


しかし、その性質によりそれは膨張するという不朽の傾向を持ち、
 実際、障害物に会わない限り自身で膨張する。


空気のこの特性は伸縮性と呼ばれる。

この流体が容器内に閉じ込められると、
 それを突き破ろうとしてあらゆる方向に作用する。


そしてこれらの作用は多かれ少なかれその圧縮度に比例する。

ゆえに、われわれはこの結論に至る。
即ち、空気の伸縮性はその密度に正確に比例する。


ゆえに、その密度が2倍になると、
 さらに伸縮性も2倍になり、
  即ち、一般的には一定の伸縮度は、密度の比例の度合いに一致する。


しかしながら、これは空気が同じ温度の熱を維持する間しか発生しない、
 ということに気づくべきである。

 

それがより熱くなるときはいつでも、
 その密度に一致するものよりも巨大な膨張力を必要とする。


そして冷気は膨張力を弱めることにより反対の効果を生み出す。

それから、空気の塊の伸縮性を決定するためには、その密度を知ることだけでは不十分である。

あなたは、同様に熱の温度を知らねばならない。

 

明るい光の中でこれを示すために、
 至る所ぴったりと閉じてはいるが、
  連絡用の扉により結合された2つの部屋を想像しよう。

つまり、2つの部屋の内の温度は等しい。

このために、2つの部屋の中の空気は同じ密度を持つはずである。

 

というのは、空気の密度が高ければ、
 結果として一方のほうが他方よりもより弾力性があり、
  両方の密度が同じになるまで、その一部は一方から逃げ出し他方へ追いやられるだろう。

 

しかし、一方の部屋が他方よりも熱くなる場合を仮定してみよう。

それにより、より大きな弾力性を得た空気は、
 当然他方へと押しやられ、
  両方の空間の伸縮性が同じ度合いになるまで、
   より小さな空間で見出す空気をさらに減らす。


この変化の間、より熱い部屋から熱くない部屋への、扉を通る空気の流れがある。

そして、平衡が戻るとき、空気は暖かい部屋の中ではより希薄に、
 そして冷たい部屋ではより圧縮されるだろう。


さらに両方の弾力は同じになるだろう。

 

これにより、明らかに、一方が他方より熱いとき、
 異なった密度をもつ2つの空気の塊は同じ弾力をもつようになるだろう、ということになる。


そして、この環境を考慮したならば、同じ密度で、それらは異なった弾力を与えられるのだろう。

 

わたしが2つの部屋について述べたことは2つの国に適用されるだろう。


そして、それゆえに、一方の国が他方よりも熱くなるとき、
 一方から他方への空気の流れの必要性が出てくるにちがいないということが結論される。

 

さらに、これにより結果として風が生じる。

 

ここで、そのとき、他方もおそらくあるだろうが、
 一方には地球のさまざまな地域で優位を占めるさまざまな熱からできる豊かな風の源がある。

 

そして、もし、一般的に同じ高さで、
 密度の度合いばかりか、同じく熱の度合いまでも同じ量が発見されないならば、
  地球を取り巻く全ての空気は静止状態にはありえないということが証明可能である。

 

そして、地球の全表面にわたり風がないという事態が起こったならば、
 確かに、空気が同様にどこでも密度が等しく、同じ高さでは暖かい、
  ということが推論されるだろう。

 

目下のところ、これは決して起こらないので、
 少なくともある領域では常に必然的に風がなければならない。

 

しかし、これらの風は、地球の表面でのみ大体遭遇するはずである。

そして、あなたが高く登れば登るほど、激しい風は少なくなる。

 

風は非常に高い山の頂上ではほとんど感じられない。

 

そこは永遠の静けさが支配する。

 

よって、かなり上の方では空気は常に静止状態にあることは疑い得ない。

 

ゆえに、非常に上昇した領域では、
 地球全ての至る所に同じ度合いの密度と熱を行き渡らすということになる。


つまり、一方のほうが他方より熱いなら、空気は静止状態のままではありえない。

 

そして、これらの上昇した領域に風はないので、
 熱の温度は常に同じでなければならない、
  ということが必然的になるはずだ。


つまり、それは、一年および一日の間でも、
 われわれが地球の表面で感じる熱と冷気の大きな変動を考慮すると、
  非常に驚くべきパラドックス(逆説)なのである。


気候の相違を考慮にいれるなくとも、
 そこには赤道直下で感じられる我慢できないような熱気、
  また地球の極に向かって広がる恐るべき冷気がある。

 

しかしながら、経験そのものが驚くべき事実の真理を確かなものにする。

 

雪と氷はスイスの山上に夏も冬も等しく残っており、
 まさしく赤道下に位置するペルーの非常に高い山々、
  コルジレラ山系にも等しく変わらず残っている。


そして、にもかかわらず、そこは永久に極地域のそれと同様の極端な冷気が支配する。

 

これらの山の高さは4と3/5イギリスマイル(1609m×23/57401.5m)
 または24,000フィート(
0.3048/inch×240007315m)である。

 

これより、われわれが地球上の24,000フィートの高さに登ることが可能なら、
 同じ温度の冷気、さらに極端に厳しい冷気に常に遭遇するはずだということを、
  おそらくわれわれは自信を持って結論するだろう。

 

われわれは赤道直下または極近辺で、
 夏と冬の間に感じることができる相違を述べることはできない。

この高さでは、またさらに高いところでは、
 大気の状態は普遍的であり、全ての季節で同じである。


そして、熱気と冷気の変動は地球の表面の近くでのみ発生する。

 

太陽光線の効果が知覚可能となるのはこれらの下方の領域だけである。

 

あなたは、疑いなくこの理由を知りたいという好奇心を持っている。

 

それは次の手紙のテーマとなるだろう。

 

1760年5月31日

 

 

 

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