自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

より小さな空間に縮小できることにより圧縮性と呼ばれる空気の驚くべき特徴を説明することで、

われわれは自然や技術の両面のさまざまな生産に利益を与えることが可能である。

私は空気銃の説明を始めるつもりだが、
 あなたがその道具について良く知っていることは疑問の余地がない。

その構成は一般的な銃のそれと同様である。

しかし、火薬の代わりに、われわれは銃弾を発射するために圧縮空気を使用する。

この働きの過程を理解するためには、

空気は、あなたが手に入れたい圧縮度に比例した力によってのみ圧縮され得る

ということが認められる必要がある。

この状態で、空気は自身を膨張しようとし、

そして、それが行われる労力は、

空気が実際に占める大きさにまで縮小するために必要な力に正確に等しい。

そのとき、空気は圧縮されればされるほど、より激しく膨張しようとする。

そして、もし空気が自由なときの2倍のおおきさの密度に上げられる、

つまりわれわれが、空気が自然な状態で占有する空間を半分に減少するならば、

広がろうとする力は33フィート(10.05m)の高さの水柱の圧力に等しい。

水で満たされたこの高さの巨大な樽を心の中に描いてみよう。

この液体は、疑いなく容器の底に強力な圧力をかけるだろう。

もしあなたがその中に穴をあけたなら、ものすごい勢いで外へ噴出すだろう。

そして、あなたの指で穴をふさいだら、あなたは水のこの圧力を十分に感じるだろう。

樽の底は同じ圧力を至る所で支えている。

さて、大気の密度の二倍の密度の空気を含む容器は、正確にそのような圧力を受ける。

そして、もし樽がそれを支持するのに十分な強度がなかったならば、破裂するだろう。

さらに、この容器の側面は、私が言った樽の底と同じ強度がなければならない。

もし同じ容器内に普通の空気の密度の3倍の空気があったなら、

側面に作用するその力は、更に比例して増加し、

高さ66フィート(20.10m)の水を満たした樽の底で支えられるのと同じになるだろう。

あなたはこの力が莫大であること、

そして、さまざまな空気の圧縮度によって、

同じ比率で増大し続けるに違いないということを容易に想像するだろう。

これにより、空気銃の底には全面を頑丈に強化された空洞がある。

そこで、その目的のために使用される力と同じ高い密度に空気を縮小するため、
 空気はより一層圧縮される。

この空洞内に閉じ込められた空気は、故に、自身を外に押し出そうとする桁外れの力を得て、

さらに、もし穴が明けられると、その力に比例した速度で飛び出す。

では、玉が置かれた空洞管内の端にそのような穴があるとする。

それは近くに止まっている。

しかし、あなたが玉を発射したいと望むとき、一瞬、あなたがその閉じた弁を開ける。

そして前へ突進する空気が、われわれが射撃で言うところの全速度で玉を強制的に押し出す。

あなたが発射したいときいつでも弁が一瞬開放される。

それゆえに、一定の量の空気が出てもそれ以上は出ず、
 空気はまだいろいろな射撃のために十分残るだろう。

しかし、排出時に、その密度と相応の伸縮性が減少する。

そしてこの理由により、力がついには完全に消耗されてしまうまで、
 後の発射力は前のそれより弱くなる。

弁を相当な時間開放し続けると、さらに空気は排出され、結果、全てが浪費されるだろう。

というのは、それが銃身内にある間のみ、この力は球に作用する。

それが打ち出されるや否や空気のための通路を残すことは無駄である。

だから、この流体の圧縮をもって、はるか遠方へと運ぶことができるならば、

あなたは、一般に使用される銃や大砲と同様の効果を
  
wind-gun(風圧銃)から生み出せるだろう、と思うだろう。

従って、同じ原理が大砲の効果により発見された。

火薬は、非常に圧縮した空気を細孔の中に含む物質にすぎない。

ここで、自然は、われわれが空気を圧縮するために使用するのと同じ操作を行うが、
 莫大な圧縮度をもたらす。

この密度の空気が閉じ込められる小さな空洞を開放する必要がある、これが全てである。


即ち、それを自由に排出すればよい。

これはこれらのわずかな気泡をはぜる火によって実行される。

そのとき、空気が急に信じられない速度で噴出し、

われわれがwind-gun(風圧銃)の場合に述べたのと全く同様の方法ではあるが、

ものすごい激しさで弾丸と球を前に押し出す。

そのとき、ここには、
 このただ一つの相違と共に空気の圧縮から生み出される2つの驚くべき効果がある。


即ち、一つは技術の作用でもう一つは自然の作用である。

それゆえに、われわれは、
 いかに人間の技術の作用が自然の作用を無限に超えているかを、この中に見るのだ。

1760年5月24日

 

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