-矛盾と偽善に満ちた世界への反乱と先駆者ゆえの苦悩
当時は、思考のみを優先したアリストテレス学派による自然界への解釈が支配的であり、実験は不要とされていました。地球の自転でさえも、今手から離したものがなぜ異なった場所に落ちないのか、といった反論にさえ明確に答えることができず、認められなかったのです。
ただし、皇帝付き数学者・天文学者として認められていたガリレイらには、あくまで数学上の仮説として地動説を発表することが許されていました。不思議なことに。
当時、天文学者ジョルダノ・ブルーノは地動説をガマンできずに公表し、審問にかけられても自説を曲げなかったため、恐ろしいことに生きたまま火あぶりの刑に処せられました。27歳の若さでした。
そのため、ガリレイやケプラーもお互い交流を持ち、新説を確認しながらも、事実を公表することには大変慎重でした。
それでもかれらの研究は新たな時代の要請でもあり、且つかれらの意思に関わらず、旧体制への反乱の始まりでもありました。
思考し且つ実験により現象を証明する手法の復活は、ヨーロッパの千年の暗黒時代の終焉が近ずいている証拠でもあったのです。
が、残念ながら、その後のガリレイの苦悩の後半生は見るに余りあります。
それは彼の最後の書と研究書が物語っています。(スティルマン・ドレイク著「ガリレオの生涯1~3」など)
また、ガリレイより若く、ニュートンへの大きな遺産を残したケプラーも後半生は苦悩の連続でした。
多額の出費もさることながら、未払いの自分の給料を回収するべく自ら旅に出るのですが、不幸にも旅の途中、あえなく客死してしまいます!(当時、現代で言う科学は食べていける職業ではありませんでした。)
ガリレイより早く死去してしまうとは一体誰が想像したでしょうか?ガリレイも大変悲しんだといわれています。
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