あなたは地球の形がほぼ球体の形であることを良く知っている。
事実、その形は完全な球ではないが、極へ向かいいくぶん平に伸びていることが証明された。
相違は、しかしながら、非常に取るに足りないので、私の視界にある物体に全く影響を与えない。
山と渓谷の違いはその球体の形に対し何ら確かな反論を引き起こすことはない。
その(地球の)直径が7912イギリスマイル(12730.4km)であるのに対し、
最も高い山でも高さでは5イギリスマイル(0.8045km)であり、
この桁外れの大きさに比較するとなにも窪みはないことになる。
古代の人々は実際の地球の形に対し不完全な観念を持っていた。
それは一般的に、部分的には水があり、部分的に陸地で覆われ、
ABのように平に伸びた巨大な物質の塊ABCD(Fig28)と考えられた。
かれらの考えによると、表面ABだけは住むことができた。
そして、AとBの地点を越えて進むことは不可能であった。
即ち、かれらは世界の端として考えた。
発見という進歩の中で、
地球がほぼ球体であり、且つ全世界に住むことができることが発見されたとき、
ゆえに正反対の者(Antipodes:アンチポード)と呼ばれた住居者は
われわれとは正に球体の反対側の場所にいた。
なぜなら、彼らの足は直接われわれのほうに向けられているからだ。
−この考えは極端な結論に見える、
つまり、ある教会の神父は実にひどい異説としてそれを表わした。
そして正反対のものの存在を信じたもの全てに対し呪いの言葉を大声で吐いた。
しかしながら、特に、地球のまわりを何度も航海した航海者の経験により、
その考えが確認されて以来、
人は今では問題のそれを叫んだ間抜けを無視するだろう。
しかし、ここに別の困難、即ち
引力の真の方向を発見する場合にわれわれを助けるはずの解決法、
が顔を出す。

もし地球を表わす円AB(Fig29)が彼らの言うとおりならば、
そしてわれわれがAにいて、
正反対の者(antipode)は正反対の向こう側Bにいる。
われわれが、自分の居る場所で同じ言葉を発音するときと同様に、
これらの言葉が同じ方向を示すと仮定すると、
そのときわれわれが頭を上の方に、足を下の方にしているので、
われわれ正反対の者(antipode)は足を上に、
頭を下の方にしている。
ところが、地球を巡回する航海者は、
彼らの頭と足は地球という球体の表面へ相対的には至る所で同じ位置にあり続けた、
ということに気づくのである。
この現象をきまり悪く思うあるものたちは、
ハエや他の昆虫が上の部分と同様に下の部分をうようよする球表面の比較により、
それを説明しようと考えた。
しかし、頼りとする地表に住む昆虫が彼らのかぎつめによりそれをしっかり掴んでおり、
この助け無しにはほどなく落下するだろうということを
かれらは考えなかった。
そのとき、正反対の者(antipode)は
地球の表面にかれをすばやく拘束するフック(留め金)を備えた彼の靴を持たねばならない。
だが、たとえかれが何ももっていなくとも、
われわれがそうならないように、かれは落ちはしない。
一方でわれわれが地球の表面の一番上にいると想像すると、
正反対の者(antipode)は彼の状況に関して同じ考えをもち、
われわれを地球表面の一番下にいるものとして考えるのである。
しかし、全ての現象は実験が証明する仮説に帰される。
すなわち、引力の方向は、その表面のどの場所でも、地球の表面にかなり垂直である。
つまり、それはこれらのさまざまな場所で変化する。
そしてさらに、人々は、互いに正反対の者(antipode)であり、正確に反対側に居るはずである。
一番上および一番下という言葉は、それ故に、不変の方向を表現しない。
しかし、引力の方向はどこであれ不変である。
われわれの正反対の者(antipode)はわれわれとの関係でのみ彼らの頭を一番下にするが、
彼ら自身との関連ではそうではない。
かれらは、われわれ同様、引力の力が彼らをその状態のままにする位置にいる。
そして、その場所は相対的には地球の表面と同じである。
あなたは、疑いなく、この説明を必要としないだろう。
しかし、それが学者という名で尊敬された人々にさえ必要であった時があったし、
大して時間は経っていないのである。
1760年8月28日