自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

目の構造に見出されるその原理は、一般的には、

 私が凸レンズにより白い紙上の対象物の描写を説明した通りである。


それらの両方がこの中で解決されねばならない、

 即ち、対象物の1点から進む全ての光線は屈折により唯一つの点に再び集光される。


そして、この屈折が1枚のレンズにより起こるのか、
 それとも目を構成するさまざまな透明な物質によるのかはほとんど重要でないように思える。


1つの透明な物質を使用することで、目のそれよりもっと簡単に、

 ある構造が同じ利点を生み出してきただろうと、

  そこから推論されるかも知れない。


それは、結局、あらゆる神の業の形成において最も単純な道を確実にたどって来た、

 神の知恵に対する非常に強力な反論となるであろう。


人びとは、この見かけの複雑化をもたらす利点を注意深く検討しなかった者を

 望んでは来なかったし、

  軽率にも非難に値するとして

   敢えて神のこのすばらしい創造物を非難した。


かれらは、目の構造に対しもっと簡単な案を示すことができる、と偽った。


なぜなら、かれらは器官が果たすべきあらゆる機能を無視した。


私は彼らのこの方法を検討するつもりである。


そして、それはおおいに欠陥があり、

 全く無価値な存在が、現実に存在するそれと競合の状態にある

  ということを、あなたに納得していただきたい。

それゆえに、目というものは、

 それと対象物の同一点から来る全ての光線を1点に集める、

  単純な凸レンズABCD(Fig27)に言い換えられる。


しかし、これは本物に近いに過ぎない。


レンズの表面にある球状の形はとかく不都合になりがちである。


即ち、それは中心を通ってくる光線とその端を通ってくる光線を
 全く同一点に完全には集めないのである。

(訳注:レンズの収差のことを言っている。)

われわれが白い紙片上の像を受けることによる実験でも、
 ほとんど知覚不可能だが、

  これらは常に小さな相違である。


しかし、もしこれが眼そのもの中で起きたなら、非常にぼやけた像となるだろう。

私がそれとなく言及してきた人々は、

 それらが中心を通過するしようと、端を通過しようと、

  O点から進む全ての光線を点Rで新たに集める特性をもつレンズの表面のための

  別の図を見出すことが可能かもしれない、

   と根拠もなく主張する。


これは可能かもしれない、と私は認める。


しかし、この特徴を持つレンズが固定距離
COにあると仮定しても、

 それはレンズから多少離れた場所ではそれ(R点に集光するという特徴)を持たないだろう。

一方、これが可能であるとしても、

 レンズは、例えば片側Tに置かれた対象物については、

  その(R点に集光するという)特徴を最も確実に失うだろう。


従って、

 対象物が白い紙上に描写されるとき、

  やはり、O点のようにレンズの前に直接置かれるなら、

   十分にうまく表現されるかもしれない、

    しかし、T点のように斜めに置かれたこれらは、
     常に大きく損なわれ、非常に乱雑に表わされる、

      ということをわれわれは知るのである。


そしてこれは、もっとも独創的な芸術家でも修正できない欠点である。

しかしもう一つあり、それはかなり重要である。


さまざまな色の光線の話しで、

 ある透明な媒体から別の媒体へと通過するばあい、それらはさまざまな屈折を受ける、

  とわたしは述べた。


即ち、赤色の光線は最小の屈折を受け、紫色の光線は最大の屈折を受けると。


故に、もし
O点が赤で、その光線がレンズABを通過する場合、R点に集光されたなら、

 これは赤い像の位置にあるだろう。


しかし、もし
O点が紫色だったなら、光線はレンズの近くのV点に集まる。

さらにまた、白が全ての単純な色の集合であるように、

 O点に置かれた白い物体は

  O点から異なった距離に配置されるさまざまな像を

  すぐに形成するだろう。


結果、網膜上にあるはずの色付けされた場所には、大いに乱れた描写があるだろう。
従って、

 暗い部屋の中で外部の対象物が白紙に描写されるとき、

  それらが虹の色の境界のように見えるのが観察できる。


しかも、唯一つの透明な物体を使用することによっても、この欠陥を補修することは不可能である。


しかし、これがさまざまな透明な物質によりなされたであろうことはずっと述べてきた。


ただ、これまで理論も実践も、

 すべてのこれらの欠点を修復すべき構造を製作するため

  必要な完成度にまで導いてきたわけではない。

しかし、神が作り出した眼は、自由思想家の想像上の構造の下では、

 あらゆる不完全なものの一つでさえも影響を受けない。


ここで、われわれは、

 なぜ永遠の知識(神の英知)が

  目の構造において、さまざまな透明な物質を使用したのか、

   の真の理由を発見する。


そのために、それは人間のあらゆる活動を特徴づける全ての欠陥に対して守られる。


思索とはなんと高貴なテーマであろうか!


賛美歌作者のあの問いかけとなんと直接関係したことか!


目を作った彼(神)は見えないのだろうか?

また耳を考えた彼(神)は聞こえないのだろうか?


眼が唯一、人知をはるかに超えた傑作であるため、

 このすばらしい贈り物を最高の完成度で、
  人間ばかりでなく獣や、否、ひどく不快な昆虫にも与えた神に対して

   われわれはいかに高貴な考えを作りださねばならないことか!

     
1760年8月19日

 

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