自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

目の構造に見いだされる不思議を

 もう少し注意深く私と共に熟考することが、

  あなたを不愉快にしなければいいのですが。

まず第一に、瞳孔はおおいに賞賛に値するものを提示する。


光線が目の内部へと進むことにより、

 われわれがアイリス(虹彩)または星形のmmの中心に見出すもの、
  さらに黒く見えるものが
それである。


それが大きければ大きいほど、

 描画されたそこに見える像を網膜上に形成するため、

  より多くの光線が目の中に入ることができる。


よって、瞳孔が開かれれば開かれるほど、この像はさらに見事なものになる。

人間の目を注意深く調べると、われわれは、

 瞳孔の口径があるときはより大きくまたあるときはより小さくなることに気づく。


非常に強い光に晒されると瞳孔が縮小されると一般的に言われる。


そして反対に、光が微かな場合、とても大きく広がる。


この変化は視覚の完成のために絶対的に必要である。


われわれが非常に強い光の中に居るとき、

 さらに強力な光線があると、その中のごく一部が網膜の神経を攪拌しようとする。


瞳孔は、従って、そのときさらに縮小される。


(もし、瞳孔が)より広げられ、
 その結果さらに多くの光線を受け入れたならば、
  それらの力があまりに激しく神経を攪拌し、痛みを生じるだろう。


われわれは幻惑されることなく、また目の底に知覚可能な痛みを体験することなく、

 太陽を見上げることはできないのは

  この理由に依るのである。

われわれが瞳孔をよりいっそう縮小することができたなら、

 非常に少量の光線のみ受け入れようするため、

  われわれはそれにより多大な不便を感じるはずがない。


しかし、瞳孔の縮小はわれわれ自身の力でするのではない。


鷲はこの利点を持っており、太陽を直接見ることができる。


従って、
そのときかれらの瞳孔は、

 瞳孔のほんのわずかな膨張を命じることで

  明るい光を一点に減少させて見えるように、

   非常に縮小されると言われている。


光の減少に比例して、

 ほとんどアイリス(虹彩)全体を占めるほどに瞳孔が膨張し、

  さらに暗闇ではそれ(瞳孔)は非常に拡大される。


もしそれが、光の中のように、同じ縮小の状態のままだったなら、

 目に入る光はあまりに弱く、視覚に必要なだけの神経を攪拌することはできないだろう。


それゆえに、そのとき光線は知覚可能な効果を生じるために

 より多く(の光線)を受け入れねばならない。

われわれの力でよりいっそう瞳孔を開くことができたなら、
 われわれはかなり深い暗闇でも見ることができるはずだ。


この目的のため、われわれは、

 目に風を受けることで、

  瞳孔はそれによってかなり膨張するので、
   人は闇の中で最小の対象物を読み取ったり、判別することができる、

    と人々に語った。


闇の中を徘徊する猫やさまざまな他の動物は、
 人類よりもさらに大きく瞳孔を拡大する機能を持つ。


そして、梟は常にそれらを大きく広げているので、ほど良い量の光にも耐えられない。

さて、人間の目の瞳孔が膨張または縮小するとき、それはその意志の作用によるのではない。


人には、自由に瞳孔を膨張したり縮小する能力がないのである。


人がまばゆい環境に入るやいなや、(瞳孔は)無意識に縮小し、さらに暗闇に戻ると膨張する。


しかし、この変化は瞬時には生じない。


この器官が環境に対し自身で順応するには少しの時間を必要とする。

編注)* われわれは筋肉の力によりこれを行うことができないけれども、しかし、ベラドンナまたはヒヨスのエキスの一滴を眼に注すことにより、瞳孔が異常な度合いに膨張し、1ないし2時間その状態を維持するだろう。

あなたが明るい場所から映画館の中のように暗い場所へ非常に急いで移るたびに、

 あなたは同伴者をすぐに区別することができない、

  ということに、疑いなくあなたは気づくはずだ。


(明るい場所では)瞳孔はまだあまりに狭いので、

 それが感知可能な痕跡を残せるだけの

  わずかな弱い光も受容できなかったのである。


しかし、それは十分な光を受けるため次第に膨張した。


あなたが暗闇から明るい光も下へ急に移ると、反対のことが起こる。


そのとき、瞳孔が非常に膨張するので、網膜が強烈な仕方で光に打たれ、

 あなたはすっかり幻惑されて、必然的に目を閉じる。

そのとき、
視覚が命令するので、瞳孔は膨張したり、縮小するはずであり、

 また、この変化はほとんど無意識且ついかなる意志の作用とも独立して起こるはずである、

  ということは、非常に注目すべき出来事である。


人体の構造と機能を調べる哲学者は、このテーマに関する意見では大きく分裂している。


そして、われわれがこのすばらしい現象の満足いく解決を手にするという状況は
 ほとんどないのである。


しかしながら、瞳孔の変わりやすさは、視覚には本質的に必要なものなのである。


そしてそれが非常に不完全であるということ無しに、である。


しかし、さまざまな他の特徴が発見される可能性があり、また同様に賞賛される権利がある。

     
1760年8月17日

 

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