わたしは光学で普通に扱われるほぼあらゆることを説明するために努力してきた。
影について話すことが残り全てである。
あなたは日陰または影が何を意味するのか既に非常に良く知っているので、
このテーマを長々と書く必要はないだろう。
影は常に2つのことを条件とする。
発光する物体と不透明な物体は光線を送出しない。
不透明な物体は、そのとき、発光する物体の光線に対しその背後へ回ることを妨げ、
さらに、光線がこの妨害により到達できない空間が不透明な物体の影と呼ばれる。
または、同じことだが、影は発光する物体には見られない空間すべてを含む。
なぜなら、不透明な物体はその光線を妨害するからである。
A(Fig14)が発光点で、BCDEが不透明な物体であるとしよう。
不透明な物体に接する一番端の光線ABM、ADNを描こう。
Aから出る光線で、空間MBEDNを貫通できるものはない。
さらに、その空間内のどの場所であろうとも、
例えば、Oに目があったとすると、それに発光体は見えないだろう。
この空間が不透明体の影である。
そして、われわれは、それが連続して増大し、無限に拡張するかもしれない、ということを知る。
しかしもし、光線が生じる物体が巨大な大きさであるならば、影の判断はいくらか異なる。
検討を必要とする3つの場合がある。
第一は、発光体が不透明体より小さいとき、
第二は、発光体が不透明体と等しいとき、
第三は、発光体が不透明体より大きいとき。
第一の場合は、光が不透明体よりも小さいというわれわれが今まで考えてきたことである。
第二の場合は、発光体Aが不透明体BCEDと同じ大きさである(Fig15)に示される。
もしあなたが一番端の光線ABM、AENを描けば、
空間MBENは影となるだろう。
さらに、その空間のすべての場所で、発光体を見ることはできないだろう。
さらに、あなたは、線BMとENが平衡であること、
また影は同じ幅を保持しながら永遠に広がることを知る。
第三の場合は、発光体AAは不透明体BCEDよりも大きい(Fig16)に示される。
BとEで不透明体に接する一番端の光線は、もし生じたなら、O点で出会うだろう。
そして影BOEの空間が有限となり、Oで終点となる。
この場合の影は円錐形と呼ばれる。
光が拒否されるのはこの空間内だけであり、発光体を見ることはできない。
この第三の場合は、天空の物体を照らす、
即ち太陽という発光体より小さい天空の物体のなす影と合っている。
ここで神の知恵のもう一つの顕示がある。
つまり、もし太陽が惑星よりも小さかったなら、
それらの影は終点を作らないばかりか、
永遠に広がり、即ち、太陽の光の恩恵を受ける巨大な空間を奪うだろう。
しかし、その発光体の大きさが惑星の大きさの何倍も超えると、
それらの影は太陽光だけが締め出される非常に狭い範囲に縮小される。
ゆえに、地球と月はそれらの円錐型の影を投影する。
そして、月は時々部分的にも全体的にも地球の影に飛び込むだろう。
これが起こるとき、われわれは、月が全体または部分に食を起こされると言う。
前者の場合、われわれは月の皆既食と呼ぶ。もう一つは部分食である。
その上、月はその影を投影するが、それは地球の影よりも小さい。
しかしながら、月の影が地球にまで広がることが起こるかもしれない。
そして、その影に包まれるものは太陽の食(日食)を経験する。
そのとき、間に入った月が全体または部分的に太陽を見えなくするとき、
太陽の食(日食)は起こる。
たとえ食が起きなくとも、われわれは夜に太陽を見ることはない。
しかし、そのときわれわれは
最も薄暗くなる原因となっている(月が作る)地球(上)の影の中にいる。
これまで、われわれは、
光学の専門的な対象物である光線が直線で送出される場合についてのみ考えてきた。
しかし、光線があるときは反射され、
またあるときは折られるか屈折されることは、すでに述べてきた。
光線が鏡のように良く磨かれた表面に降りそそぐとき、
それらはその表面から反射されることを、あなたは思い出すだろう。
さらに、それらがある透明な媒体から別の物体を通過するとき、
それらは屈折をうけ、さらにある意味では折られる。
その結果、2つの別の学問(自然科学)が生じる。
反射された光線に関する像を考えるそれは反射光学と呼ばれる。
さらに折られ、
または屈折される光線に関するその物体の像について考えるそれは屈折光学と名付けられる。
光学は直進する光線に関する像を取り扱う。
それらは、日々出現し、
さらにその原因と特徴を研究することが重要な現象を日の下に晒すので、
わたしはこれらの2つの学問、屈折光学と反射光学の概略をあなたに贈呈しよう。
像のテーマに関連することは全て、
反論以上に、好奇心を起こし、注意を引く高い価値のあるものである。
1760年8月5日