自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙

 

光線を伝達し、
 またこの特性のために、透明または透き通ったと呼ばれるガラス、水、特に空気等の
  物質があることを私は既に述べた。

しかしながら、エーテルは、
 光線が作られ、この特性が最も深く関係する媒体である。


さらに、その他の透明な物体は、
 それらが内包し且つ、それらが大いに混合されるエーテルによってのみ、
  それ(特性)を与えられる、


即ち、光によって起こされる攪拌は、
 それらの進路を妨害されることなく遠くまで伝達されるであろう。


しかしこの伝達は、たとえそれが常に何かを失うにしても、
 決して純粋なエーテルの中と同様に自由に行なわれるわけではない。


さらに、透明な物質の内部では、これは多少粗い。


その総量がかなりの量になると、光はその中でまったく失われるだろう。


そのとき、その物体はもはや透明ではない。


かくして、たとえガラスが透明な物質であろうとも、
 何フィートもの厚さのガラスの大きな塊はそうではない。


同様の方法で、いかに川の水がきれいであろうと、
 たとえあなたが影となっている川底を非常に簡単に見ることができても、
  あなたは非常に深い川底を見ることはできない。

次に、透明さはこれらの厚さにのみ関係する物体の特性である。


そしてこの特性(の原因)がガラスや水等に帰せられるとき、
 常にこの制限と共に理解されねばならない。


即ちこれらの物体があまり厚くないことであり、

 さらに、あらゆる種類の物体には、物質が透明で無くなる一定量の厚さがある。


もし板をむりやり非常に薄くしたなら、

 反対にそれ自身透明にならない不透明な物体はない。


よって、金は透明ではないけれども、金箔は透明である。


さらに、顕微鏡であらゆる物質のより微小な粒子を調査すると、
 それらは透明であることが発見される。


一定量の薄さに変えられると全ての物体は透明であるということ、

 そして、多すぎると透明なものはなくなるということは、真理と断言される。

普通の言語では、
 われわれは、たとえそれら(物体)がその限界を超えて(物体自身を)失おうとも、
  この性質を一定の厚さで保とうとする物体を透明と呼ぶ。


しかし、エーテルに関しては、
 完全な透明性は自身の性質であり、最小の量でもこの性質を損なうことはない。


我々へと送出されてくる光線が、恒星の莫大な距離により妨げられることはない。


しかし、我々の空気は完全な透明であるように見えるが、
 もしそれが月ほども遠くへ広がったなら、透明性は全く失われ、
  われわれへと貫通してくる太陽や他の天体のあらゆる光線を妨げるだろう。

(訳注:仮に、空気が膨張して広がった場合ではなく、幾重にも重なって厚くなった場合のことを言っている。)


そのときわれわれはエジプトの暗黒に巻き込まれるはずだ。

その理由は明らかであり、

 さらにわれわれは、光との類似があらゆる関係において確認された
  音の場合の同じことについて述べる。


空気は音の伝播のため最もふさわしい媒体である。


しかし、空気の中で引き起こされる攪拌は物体の粒子をもまた揺り動かす能力がある。


そして、繰り返し内部の粒子を運動状態にして、
 それらが厚すぎない限り、これらはついにはあらゆる物体中を通って振動を伝える。


そのとき、音との関係が、透明な物体が光と関連していることと同じことである物体がある。


そして、全ての物体は

 それらが厚すぎないことを規定された

  音に関連するこの特性を持つ。


あなたが自分のアパートメントに居るとき、
 ドアがしっかり閉まっていたとしても、
  あなたは控えの間を通過するほぼあらゆるもの(の音)を聞くことができる。


なぜなら、控えの間の空気の攪拌は自身を仕切り壁へと伝達し、
 さらにいくらかの損失をともなって、
  アパートメントの内部へそれら(空気)を経由して貫通するからだ。


仕切り壁が取り払われたなら、疑いなくあなたはもっとはっきりと聴こえるだろう。


さて、壁が厚ければ厚いほど、音はそれらを通り突きぬけつつもその影響力をより失なう。


即ち、壁があまりに厚く作られていると、
 大砲の発射のような何かの恐ろしい爆音でもないかぎり、
  外部から聞こえるものは何もない。

これは、非常に強力な音は、
 より弱い音も入り込めない壁を通して聞こえるかもしれない、
  というあらたな観察へと私を導く。


そして、結果として、壁が音を伝達する能力があるのかどうかの判断をするために、

 それは壁の厚さばかりでなく、さらに音の強度も説明をする必要がある。


もし音が非常に弱かったなら、それを止めるのには非常に薄い壁で十分である。


より大きな音は容易に伝わることを発見するだろうが。


同じことが非常に強い光だけ透過できる物体に適用できる。


大して光り輝かない対象物は煙で黒くなったガラスを通しては見えないが、
 太陽光線はそれを経由して突き進み、その発光体の像を全くうまく伝達する。


天文学者は自身の観測のためにこの方法を使う。


というのは、そのような予防策無しでは、かれは目をくらまされるだろう。


そして、あなたが太陽に晒された雨戸に1つの穴を空けた暗室内にいるとき、
 その穴にあなたの手を向けて、むなしくもあなたは光をよけようとするだろう。


が、太陽光線は突き進むだろう。

太陽光線が、他の対象物に比較してそれ自身透明でない物体を通過する場合に

 その輝きの多くを失うことは、同時に知覚可能である。


しかし、より弱い光がすぐに失われる一方で、
 非常に強力な光は、それがすっかり消されてしまう前に、その輝きの多くを失うかもしれない。


そのとき、非常に厚いガラス片は、

 太陽はそれを通して見ることを可能にするけれども、

  あまり光り輝かない対象物に関しては、(光が弱く透過できないので)

   透明ではないだろう。

透明な物体に関するこれらの観察は、

 あなたが度々聞いてきた上に、

  私が、その正しい光の性質を位置づけようと試みるべき

   屈折の理論へと私を導く。

1760年6月18日

 

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